我が母校の校歌です。
公立の進学校なのに美術科と音楽科が併設された、全国的にも珍しい高校でした。

昨日、その母校は甲子園予選2回戦で敗れました。
私は車校の空き時間に3回あたりから見始めて、その時点では1−0で勝ってました。
相手はなかなかいい投手で、あまり連打は望めなさそうで、
こちらの投手もそこそこ頑張っていたのですが、
ピンチを招いては要所を締めるという内容が続き、あまり長くは持たない感じでした。
それでも6回まで何とか抑えたところで、学科の時間がやってきてしまい、
後ろ髪ひかれつつ教室に向かって。
授業が終わったときには、1−5の逆転負けで試合が終わっていました。
どういう展開だったのか、あの投手はどこまで頑張ったのか、結局わからないまま。
学科をサボってでも見ていればよかった、と思いました。

懐かしいユニフォーム。
相変わらずの古風な応援団。
あのころと同じコスチュームと、黄色いポンポンのチアリーダー。
ふと思い起こすのは、あの夏の苦い思い出。

意外にも私は高校時代、一度しか母校の応援に行っていません。
1年生の時の、一度きり。
もともとサッカー部とハンド部と水泳部が強かった我が校で、
それほど成績が芳しくなかった野球部が変わったのは、
私たちが3年生の夏。
前評判通り順調に勝ち進んでいき、期待はものすごく高まっていました。
だけど、私は応援に行かなかった。
行きたくても行けなかった。
もちろん当時水泳部のマネージャーとして多忙だったせいもあるのだけれど、
決定的な理由は他にあったのです。
あの子が、キャプテンだったから。

1年生の時のクラスメートの彼。
思い起こしてみれば、そういえば彼もキャッチャーだった(苦笑)
初めての彼氏、と呼んでいいのかわからないほど微妙な関係だったけれど、
素晴らしく女癖の悪い彼との最後は、出会ってしまった運命を恨んでしまうくらい最悪で。

「地区大会に出る選手以外は、応援に行ってもいいぞ」と水泳部の顧問は言いました。
どうやら彼自身も見に行きたかったようで、部員数人を連れて球場に向かったけれど、
私はプールサイドに残りました。
忙しさはあれこれ思いを巡らす時間を殺すのに最適だったからです。
「負けちゃったよ」と、戻ってきた顧問から知らされました。
「私たちの大会も、それくらい気合入れて応援してくださいね」と、
普段部活に顔を出さない彼に毒づいたのを憶えています。

勝ったらベスト8だったのだと知ったのは、夏休みがあけてからのこと。
そして、あの彼が泣いていたのだと、事情を知っている同級生から聞かされました。

自他共に認めるオレサマで、プライドは山のように高くて、
やってもムリ、と決め付けたことには決して努力をしなかった。
そんな彼の中で、野球だけはきっと特別だったのでしょう。
中途半端な成績の野球部で、ただ一人彼だけが坊主でした。
3年間伸ばされなかった髪は、1年生でベンチ入りした夏の甲子園予選、
敗色濃厚な終盤に代打で出場して結果を残せず、
結局負けてしまった翌日、髪を丸めてきたものだと私は知っていました。
なぜなら、私が唯一応援に行った試合がそれだったからです。

毎日誰よりも早くグラウンドに来ては、熱心に練習に取り組んでいた彼。
そんな彼の努力の跡を、見てあげればよかった。
許すことはできなくても、どんなに辛くても、
逃げないで最後まで見届けてあげればよかった。
そうすれば、思い出したくもない苦い思い出も、
笑って話せるようになっていたかもしれません。

思い出すのもイヤだったことを、ここに書いてしまおうと思ったのは、
大好きだった人を大嫌いにしたまま卒業してしまった自分を
後悔していることに気付いたから。
球児たちの涙に、柄にも無くセンチメンタルジャーニー。

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